作家の日記 

創作の合間に、ふと思うことがあります、、、。

 

作品のエネルギーについて

NHKの妹島さんと名和さんの番組(瀬戸内直島のアート、長谷川裕子さんの解説)を拝見した翌日、富山の黒部駅のミュージアムで大地のエネルギーともいえる展示をみた。その中でガラスケースにも入っていないシンプルな台の上に乗せられたたった1㎥の火山弾に圧倒された。小さな塊からほとばしる地球生命の熱く生々しく雄々しいエネルギー、なぜか昨日見た名和さんの発泡スチロールの白い大きな木を形取ったアートを思い出し唖然としてしまった。彼は生命のエネルギーとか生命力とかを力説していたが、その断面(断面を強調して見せている)は所詮発泡スチロールだ。いみじくも彼の作品は現代アートの特質を見事に説明してしまっているのではないか。もっと内面に訴えてくる作品に出会いたいのは私だけなのか? 

 

「本然の感情の同感無しには数学でさえ存在しえない。ベルグソンの批判したとおり知性だけで存在を主張しようとしてもできない相談です」(岡 潔)

 

 

 

 

心の底の羅針盤

 「その初めにおいては同じ一つの衝動が人を教会に向かわせ劇場に向かわせる」(古代芸術と祭式)

  

長年、心の底にいつ見ても心が引き締まる座右の銘がある。

英国ビクトリア王朝時代の女性古典学者 J.Eハリソンの言葉だ。

 

若い頃偶然目にした本の言葉だが、夢に向かって悪戦苦闘していた私にとって、ビジュアル作家の端くれとしてこの社会で生きていく上での確固たる存在意義を教えてくれた言葉だ。見た瞬間、目の前がパッと明るくなったことを今でもはっきり覚えている。

 

偉い先生の難しい解説はいろいろあると思うが、私には教会(宗教)も劇場(芸術)も人が生きていく上で欠かせないとても大切なものなのだとストレートに心に突き刺さった。同時に「ビジュアル作家としての責任」みたいなものも感じた気がした。自分の我儘だけでやっているんじゃ無い、ビジュアル作家として堂々と道を歩けるみたいなおかしなことを考えていた。以来、ビジュアル作家として、目指す夢に向かう私にとって強力な羅針盤になっている。

 

人生の終盤を迎えて、今まで通りブレずに夢を目指して突っ走ろうと心するこの頃だ。

 

 

 

 

著作権意識

2004年のNYでの個展の翌年、ギャラリーから突然ファックスが届いた。

NYのアーチストがTV局のインタビューを受けた時に、なぜかギャラリーに預けてあった私の作品の前でインタビューを受けると言うことで、著作者の許可を取ってほしいということだった。

私は別になんとも思っていなかったのだが、アメリカでは著作者の許可がない作品等を映像に撮ってオンエアすれば完全な著作権法違反で厳しく罰せられる(日本もそうなのだが)というので、わざわざファックスに自筆でサインをして送り返してほしいとのことだった。著作権意識の高さを目の当たりにしてこれが世界基準なんだととても驚いた。

 

翻って日本の著作権意識はどうだろうか。

あれから、約20年経つが、ここ2年の間だけでも、作品の写真を何枚も無断転載されたり、作品画像を許可無く修正してこともあろうに「こんなふうな作品を作ってほしい」と美術関係の法人が依頼をしてくる。立て続けに著作権を侵害された。

問題はこちらが指摘してもなんら悪びれないと言うことだが、さすがに、前者についてはこの加賀友禅M工房に厳しく問い正したところ、即刻削除した。自分の作品があたかも違う作家の作品として無断転用されることほど腹立たしいことは無い。

 

40年近く前になるが、この業界に入りたての頃、ある作家が昔の作家の作品を丸写しにしたものを自分の作品として作っていたので、「そんなことをしてもいいのか?」と聞いたところ「あんた、そんな甘いこと言うとったら食っていけんぞ」と逆に言われた。若かったので言い返せなかったが、悔しかったので今だにはっきり覚えている。その作家はバブルと共に消えた。全くどっちが甘いのか。

 

先日、今でも日々着物制作をされている、私も敬する貴重なご高齢の先輩の作家とお話ししたのだが、彼は自分が責任者として長年任されてきた加賀友禅の作品展を今年で辞めると、憤慨して言われていた。理由は、出品者の加賀友禅作家が二人も有名作家の作品を丸々盗作していたからということだった。彼の悔しい思いは察して余りある。

 

友禅業界に限らず、2020東京オリンピックのエンブレムのデザインが盗作されたものと発覚、再募集された。それを契機に全国的に画像検索による盗作探しが始まり、知名度のあるデザイナーの作品が全くの盗作(コピペ)だったことがあちこちでかなりの数指摘された。本当に呆れた。

盗作しながら仕事をしていた作家擬きやデザイナー擬きはそれなりに美術教育を受けた人たちである。中には現役で大学で教えている輩もいた。教育現場は何をしているのか。

他国の著作権意識をとやかく言えたものではない。日本の美術、デザイン業界(一部を除く)は致命的にガラパゴスである。

 

故・加賀友禅ゑり華 花岡会長との出会い

約30年近く前に初めて、老舗加賀友禅呉服店ゑり華の故花岡会長とお会いした。若い作家はまともにお顔を見て話せないような威厳のある方だ。

まだまだぺーぺーの私に作品を持って来なさいとお電話を下さったのだが、お伺いして、いきなり怖そうな顔で「あなた一人では何もできない。うちみたいな店が付けば別だが、、、」と言われ、人を呼びつけといてなに?と思ったので、「帰ります!」と席を立った。その瞬間、恵比寿様のようにお顔が変わって「まあ待て。うちの仕事をしてもらいたいんや」と言って引き止められた。その時初めてお茶が出てきたのを変に覚えている。私はちょっとムカっとして「なぜ最初にそう言わないんですか」と申し上げたら、「ものにならんもんなら、きれいですねで帰ってもらう。それくらい解れ」と言われた。

その後、「うちの専属になれ。」と言われたので、「いやです!」と即答した。会長は「そう言うと思うた!」と言って大笑いされた。私は全くのぺーぺーの駆け出しで、かたや加賀友禅業界の重鎮なのだ。

今思うと空恐ろしくなる。しかし、後日竪町の画廊「豊か」の女将さんから、会長が「あの子は伸びるぞ」と言っていたと聞かされ、涙が出そうになった。まじめに頑張っていれば必ず見てくれている人がいると本当に思えた。

作家として自分が信じて目指す未来に向かってこのまま頑張ればいいのだ。と何度も自分に言い聞かせていた。本当に大きな勇気をいただいた。NYの国連本部での個展が決まりご報告したときには、私が、「本当に嬉しいです」と言ったら、「僕もうれしい!僕が嬉しい!」と手を握って何度も言われたことが懐かしい。

 

初めての出会いから20数年、人一倍こだわりの強いわがままな作家の心を心底理解してご指導いただいた。どれだけ感謝しても感謝しきれない。その会長との最後の会話は、

 

会長:「あんた、いつまでたっても作家らしい顔しとらんなあ」

私: 「えっ、どう言う意味ですか?」

会長:「他の作家はみんな威張っとる(えばっとる)」

   「あんた他人から好きなこといろいろ言われるやろ」

私: 「はい。本当に感心するほど失礼なこといろいろ言われます」

会長:「そんでいいんやぞ!これからもそのまま行け」

 

全て、本当に全て、分かってくださっていたのだ!

100人の二流三流に否定されようと、一人の一流に認められることほど名誉なことはない。

 

この最後の会話は、私は会長の遺言と思っている。

 

 

今、還暦を過ぎ、作家として花岡会長にご報告したいことがいっぱいある。

あの恵比寿様のようなお顔で聞いてくださるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

故・師 新田邦彦氏との出会い

35年以上前、量産体制の落款登録制の道を選ばず、悩み抜いた末に、「人生の最後に後悔しない道」と信じて個展を中心とした作家活動の道を踏み出した。「目指す夢」を食べながら創作を続けていたが、当然、信用もお金も無い、不安で潰れそうになる。

そんな中、九谷焼作家の新田邦彦氏と出会った。自分と同じ匂いがすると思った。会って最初に「加賀友禅の業界では問屋に付かないで個展だけで作家をしている人は誰もいない。選んだ道は間違っていないと思うけど本当にやっていけるかやっぱり不安」ということをお話しした。

 

間髪入れず明快な答えが返ってきた。

「あんたの作品で人を喜ばせていけ。喜ばせていれば必ず(経済的に)廻る。廻らなくなったら、喜ばせていないと思え。木の上の鳥は木の実を食べて自分の糞を木の下のバクテリアに食べさせる。バクテリアは鳥の糞を分解して木の養分を作る。その養分を木が吸収して花を咲かせ実をつける。 みんなが生きていけるサイクルになっとる。 自然の摂理や。」「あんた1人が手作りしたものを社会が吸収できんはずがないやろ」

いっぺんに不安が吹っ飛んだ。「それならやっていける!」と心から納得できた。

 

以来、私は九谷焼作家 新田邦彦氏を師匠としている。焼き物と染め物の違いとかいうことは大したことではない。本当に大事な根っこのことはまったく同じである。根っこの無い作家は必ず枯れていく。

 

あれからほぼ40年、この教えをブレずに心に留めて作品を作ってきた。師の言われた通り、年を追うごとに自由に作品作りができてきている。

 

陶芸家なのに、友禅染の技法のことやら、作家とお客様の関係のこととか、展覧会のことなど多岐に渡って教えていただいた。おそらく日本中のどんな立派な大学の先生もこれだけの教え方ができる人はいないだろうと本気で思っている。どんな球を投げても必ず受け止めてど真ん中に投げ返してくれる。

追々、教えていただいた中からいくつか書き残したいと思っている。

 

 

 

 

 

染め屋さん

染め屋さんから、「今回の着物は色が微妙なので、もう一度、色確認に来てくれ」と電話があった。明日は、日曜だが、朝一でいってこよう!  高齢の染め屋さんばかりの中で、彼は唯一の若手の職人だ。ほんとうに大切にしたい。腕は確かだ。

 

 

 

助成金は、後継の真面目な若い人達にこそ使うべきだ!!!

 

不真面目な年寄りに、税金は1円たりとも使ってはいけない!!!

 

特段上手いとも思えない特定の作家に市や県の仕事が長年集中して出されて来たのにはどんな理由があるのか。調査が必要である。税金を使った公の仕事は、仕事の減少で苦しんでいる後継の優秀な作家に公平に割り振られるべきである。長年ことあるごとに耳にしてきた言葉だが、"私物化"があるとしたらもっての他である。これも厳しい調査が必要である。職人や作家や問屋の中から悲鳴にも近い、かなりの疑問や不満の声を耳にしている。歪で理不尽で低俗なヒエラルキーをひしひしと感じる。

新々の息吹、闊達で健全なものつくりのエネルギー、、、こういうものが無くなったところには文化の発展も無いだろう。

新しい芽は明るい太陽の元でなければ決して育たない。文化都市とは常に新しい芽が育ち続ける、多様性に満ちた健全で開かれた都市のことと信じる。そういう都市には、自ずと若いエネルギーが集まる。

 

 

※ 加賀友禅の衰退のために残念ながら、昨年のれんを下されました。

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「独創的」ということ

「輪廻」

 

「独創的、独創的、、、と喚きながら、自分独自のものを血眼で探し、嘘までついて、唯一のものを創ろうとしている。しかし、作品というものはどこまで行っても手段なのだ。 人間としての同一のものを確認し合う為のきわめて高知なる手段なのだ、、、」

     

著者の名前は忘れたが、昔、何かで読んだ言葉を思い出した。

気をつけないと、知らぬ間におかしなところにはまっているようなことが無きにしもあらず、、、、、

 

日本では「和」を尊ぶ多様性が混在する中で、美の表現において創造性は常に必要ではあるが、独創性は必ずしも意識するものではないのではないかと思う。

例えば、人為を伴わない自然の現象や動植物の営為の中にも我々人間を感動させる創造性の芽は在る。独創性はそれ自体が目的ではなく、何かを創造しようとする際に適切な表現方法が無い場合に創り出さざるを得ないものなのではないか。「ベクターデータによる本格的和柄デザインの制作」も、これでなければ欲する品質のデザインができない、という作家の感性からの要求によって成されたものなのだ。

独創性を目的にすると多くの場合独り善がりのものになるように思う。大切なことは、「表現しないではいられない」という強い欲求であり、これは確かな感性により生み出されるものと思う。そしてその感性は個人のパーソナリティの上に、生活している風土やつながりのある先人達が残した仕事の中から生み出されるものと思う。ガウディの創造性はカタルーニヤの陽の下で育まれ、加賀友禅の美意識は多湿な北陸加賀の気候風土の中で形作られたのだ。

 

「本当の革新は伝統の中からでしか生まれ得ない」私の好きな言葉の一つです。

 

 

 

 

 

 

 

「両方とも活かす」 師、新田邦彦氏に教わったこと

 

私は、屏風や染絵パネルの作品を作るとき、ロウちらしの技法をよく使う。ロウチラシ技法とは、下地の色を付けた布に、溶かしたロウを筆に浸け叩いてロウを散らす。その上から色をかけ乾いてからロウを落としてチラシの模様を出す染色技法である。

 

25年ほど前になるが、その技法を前面に出して緑と青の絶妙な色合いの杉山を表現した最大寸法の2曲屏風を作ることになった。かなり力が入っていたと思う。

いつものように、下地の色を染め、その上に丁寧にロウを散らした。飛び散るロウの粒の大きさにまで神経を使った。その上にもう一度濃い色をかける。ロウを取ると下の色のチラシ模様が現れる。とにかくロウチラシ独特のチラシ模様を鮮明に出したくて完璧に頑張った。つもりだったが、最後にロウを取ってみると、チラシ模様がボケてまるで精彩がない。綺麗な色を使っているのに綺麗じゃ無い!再度挑戦したが、やはりうまくいかない。

どれだけ考えても原因がわからない。

いくらなんでも陶芸家にはわからないだろうと思いながらも、師に電話した。

ロウチラシの技法と八方塞がりの状況を説明した。

「2、3日時間くれ」と言われ、2日後電話を頂いた。

 

師:「まず、下地の色は、上にかける色よりほんの少し彩度を落とした色をぬる。ロウチラシの上にかける色はそれよりほんの少し綺麗でほんの少し濃い色をかける。」

私:「そんなかったるい色ではっきりしたチラシ模様が出るはずがない!」と思いっきり反発した。

師:「まあ、騙されたと思ってワシの言う通りにやってみい」

 

半信半疑でやってみた。

ロウを取ると、くっきりと鮮明なチラシ模様、鮮やかな青と緑のコントラストが目に飛び込んだ。

なんで?魔法がかかったのかと思った。

師は染色をしたことがないはずなのに、何故わかったのか。前のめりで聞いた。

 

師:「下の色も、上の色も両方活かす。お互いに両方の良さを引き出し合う。一方を殺して一方が活きると言うことは無いやろ。世の中も一緒や

私:「かっこい〜〜〜!!!」

 

師匠も私も、実生活ではこんな芸当は決してうまくやれていないのだが、、。

師匠曰く、「本当に自分の好きなことでしか、自分の弱点に気づかんもんや」

 

な〜るほど。

 

 

  

 

 

 

 

                                                                                      ※
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「北風と太陽」 師、新田邦彦氏に教わったこと

昭和、平成時代は団体展が大流行りの時代だった。大方の作品は私には見ていてとても激しく、冷たい作風に思えた。展覧会をひと回りするととても疲れたことを覚えている(まだ若いのに)。着物も例外ではなかった。

何故こんな冷たく激しい作風のものが多いのか、私には全くわからない、と師に尋ねたことがある。

 

師は、「北風と太陽や。お前は太陽の絵を描いていけ。」と言った。なんとなく分かった気がして嬉しくなって、「♫わかったわ♫」と言うと、「ただし、太陽の絵を描くことは、北風の絵を描くことより10倍も20倍もエネルギーが必要なんやぞ。」と言われて、ドキッとした。けれども、すぐに「百万馬力で北風を跳ね除けるぞー!」とエネルギーが漲ってきたことをリアルに覚えている。大前提に立ち位置が大事なのだということだ。

 

見る人を喜ばせるために自分がいるのか、自分の名利のために見る人を利用するのかということかと理解した。「作品」は偉くなるためのツールではなく、どこまで行っても人を喜ばせるためのツールなのだ。でないと楽しく作れない。

 

「(作家は)一般の人より一段高みにある」よくあるド勘違いだ。私は、高みどころか人間と動物の間ぐらいが丁度いいと思うことにしている。何故なら、師曰く「作家という人種は忙しさに追われて日々を送っているほとんどの人たちが見えないものを感じないといけないのだから。」

 

作品を作るということは、社会のあらゆる事象に対して、その作家が無意識のうちにジャッジしている価値観を晒すということに他ならない。外からは見えないその作家の内的本質が晒されるとても厳しく高知な行為なのだと常々思っている。どれだけ小賢しく立ち回ろうと、どれだけ仮面を被ろうとも、作品は絶対嘘をつかない。その作家の創作に対する真実の姿勢を晒す。言うまでもないが、技術の上手い下手ではない。ビジュアルの力を甘く見てはいけないということだ。特に作家を生業にしている者は。自戒を込めて。

 

つまずきながらも数十年が過ぎたが、自分自身が子供のように心から楽しんで作品を作れているなら大丈夫、と確信が持てるようになってきている。歳を追うごとに。

 

 

 

 

真心

ホテル日航金沢様のスイートルームの内装デザインのリニューアルを終えた時、

社長様と総支配人様から「とても品のある部屋にしていただいた。想像以上に素晴らしい!」など身に余るお言葉をここに書ききれないくらいにいただいた。

 

夕方、6時半の時間指定でお食事にご招待いただいた。

どうして6時半なのかと思っていたら、ちょうど日本海に夕日が沈むタイミングだった。これぞホテルマンの真心!と心から感動した。

 

作家の真心は何かということを再確認し、今まで通りこれからも初心を忘れないで作品制作に臨んでいこうと心から誓った。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに手前の料理はフカヒレの姿煮!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロとアマ

最近よく、「そこがあんたのプロ意識やね、、、」とか「プロ意識がすごい」とか言われる。作品制作(仕事)をする時に「自分はプロだからとか、プロの仕事をするぞ、、、」とか一瞬も考えたことは無いが、若い頃にそのことについて考えたことがある。そして、それはとても腑に落ちたので、以来変わらず心の底に秘めている。

 

それは、「プロとアマの違いがあるとすれば、その作品を作るにあたって、見る人のことをどれだけ思いやれているのかいないのか、が、プロとアマの差ではないか」ということだ。四六時中いつも考えているということではない。軸足の位置の問題だ。目に見えないタッチの差だが、作品になったときには一目瞭然だ。

 

ビジュアルの作品というのは、誰かが見るということが大前提だ。作品の向こうに人がいるという真実を忘れないということだ。見る人に迎合することではもちろんない。その人と作家が作品を通して人間レベルで関わるということだと思う。着物の場合は、大前提に、着る人が一番輝くようにと思い願うことだ。

着物がなんでも売れた時代(2、30年前ころ)には少なからずこれが反対になっていたように思う。自分の名利のために作家になる。加賀友禅作家は一段高みにあると思い込んでいたのではないか。それが作品に出る。着る人が「主」で、着物はあくまで「従」なのだ。

 

 

情けない話だが、この歳になっても普段は腹が立つこともいろいろあるので、仏様みたいにどんな時にも他人を思いやるなどということは人並みにもいかないが、少なくとも人生を賭けた大好きな仕事だけは若い時のまま死ぬまで理想を追いかけて燃え続けたい。

 

 

 

 

 

40年前の初めての個展 アルゼンチンにて ⑴

TVロケのために1982年11月の個展の新聞記事を探して下さった El Territorio 新聞社の方。お手数おかけしました。ありがとうございます。

マテ茶なつかしいです。あの日からあっという間に三十数年がたちました。本当にあっという間です。

Que nostalgia la companera !  Mucho Gracias !

 

1982 / 11 / 24/ El Territorio アルゼンチンでの個展

 

 

■「情緒(こころ)の同意なくしては、情熱を持って行動できない。

時間というものは不思議です。強いて分類すれば、時間は情緒(心)に近いのです。」(岡潔)

 

           なんとなくわかるような気がする

 

 

  

 ■「普段は目立った心理状態しか意識に上がらないが、注意してみると、互いに区別される心理状態などなく、絶えず変化する連続しか無いことに気付く。そして、各瞬間をつなぎ、過去全体を現在に結びつける記憶力、あるいは持続と呼ばれる時間こそが我々の実在そのものであると考える。この記憶力、持続が毎瞬間訪れる現在を過去に取り込み、絶えず人格全体を変化させる。こうして我々の意識にとって、「存在するとは変化することであり、変化するとは成熟することであり、成熟するとは無制限に自分を創造することである。」という結論に至る。

存在するという言葉が意味するのは、変化するということであり、自らをを創造することであると考える。」(ベルクソン)

 

 

   33年前の自分から現在の自分まで、作品を創造しながら、自分を創造してきたのだろうか、、、、?

   どんな自分を創造したのかは、やはり作品が語るのかも、、、、。

 

 

                 

 

 

 

TVロケ・能舞台と加賀友禅

金沢深谷温泉・石屋さん、ロケでは大変お世話になりました。能舞台と加賀友禅、自分で言うのもなんですが、よく合っています。

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お客さまと創り手

着物をお作りしたお客様から、「大好評でした!」「オー!っと歓声が上がった」「みんな驚いて、とてもほめてもらった!」など、着物を着られたときのことをご連絡いただいたときは心から嬉しくなって、つい「作家冥利につきるわー!」とお返事してしまう。今年に入ってからも何人ものお客様から、お写真やメール、お電話等をいただいている。

独立以来ずっと完全誂えのフルオーダー体制で仕事をして来た。一人のお客様のために、お客様と一緒に1点1点デザインを考え、地色を決めてその人のための一点を作ってきた。

当然、同じものを2つとして作ったことは無いが、これ以外にやはり私の信じる「本物」の仕事は出来なかったと、時を重ねるにつれ確信が強くなる。これからもずっとこの姿勢を続けていこうと決意を新たにしている。

■ 「数学(芸術)をどうするかなどと考えることよりも、人の本質はどういうものであって、だから人の文化は当然どういうものであるべきかということを、もう一度考え直してもよさそうに思うのです。」(岡潔)    

 

                          全くもって全くもって同感です!

 

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